700軒以上といわれる全国屈指のラーメン激戦区・札幌。濃厚なみそ味のスープに、たっぷりの油で炒めたタマネギやモヤシなどの道産野菜と、もちもちとした中太ちぢれ麺。これが札幌ラーメンの伝統的なスタイルといわれています。市民や観光客から深く愛される札幌ラーメンの歴史とおいしさの秘密に迫ります。
札幌で初めてラーメンが提供されたのは、約100年前の1922年(大正11年)とされます。その後、市内の食堂や喫茶店でも売られましたが、戦中の物資統制で一時期姿を消し、戦後に屋台で再び提供され始めました。
当時は食糧難もあり、屋台は大繁盛でした。「安価で手頃な庶民食物の一つとしてラーメンはいまや全盛時代の観を呈し、市内至るところにラーメン屋が出現している有様だ」。1954年1月10日の北海道新聞の記事からは、ラーメンが手頃な食べ物として庶民に広まった様子がうかがえます。
しかし、このころの札幌ラーメンは全国的には無名の存在。札幌名物となった陰には、ラーメン作りに情熱を注いだ男たちの存在がありました。西山仙治と隆之の「だるま軒」では、加水率やかん水の工夫でしこしこ感がある麺が評判になりました。だるま軒から製麺部門を独立させ、業務用に機械製麺を始め、札幌ラーメンの代名詞でもあるちぢれ麺を開発しました。これが現在へと続く西山製麺です。
松田勘七の「龍鳳」は豚骨ベースのスープが評判となりました。大宮守人の「味の三平」では、それまで塩味としょうゆ味しかなかったラーメンに初めてみそ味を加えた他、冬でも冷めないように野菜をフライパンで炒めてのせました。彼らは活発に情報交換を重ね、互いの長所を取り入れることで現在へと続く札幌ラーメンができあがったのです。
札幌ラーメンのスープの特徴は、豚骨や昆布、香味野菜から抽出したうまみたっぷりのだしにありますが、そのおいしさの秘密は水と地形が関係しています。
札幌のラーメン店の多くは豊平川を水源とする水道水を使っています。豊平川は水源から河口までわずか72㌔の間に1200㍍もの標高差を流れ落ちる世界トップクラスの急勾配。水は地表を流れる間に地中からミネラルを取り込むため、地表を流れる時間が長いほどミネラルの多い硬い水となり、欧米などの流れが緩やかな河川は硬水です。
一方、豊平川の場合はミネラルが溶け込む間もなく流れ落ちるので軟水となります。軟水には、昆布やかつお節、香味野菜などから出るうまみ成分がミネラルにじゃまされることなく引き出されるという特徴があります。つまり、札幌ラーメンのスープがおいしいのは、素材のうまみを最大限に引き出す豊平川の軟水のおかげだったのです。
札幌ラーメンの特徴である濃い黄色でコシの強い中太のちぢれ麺。波打つようにウエーブがかかり、スープと麺がよく絡みます。ちぢれ麺を開発した西山製麺が工場を構えるのが白石区平和通。地下300㍍から組み上げる地下水を製麺に使用しています。同社の西山克彦常務は「地下水は適度にミネラルを含み、アルカリ性なので麺にこしが生まれます。もちもちとした食感のちぢれ麺には札幌の地下水が最適」と話します。
麺作りに適した地下水の秘密の鍵を握るのが、工場から300㍍ほど西にある白石神社の境内にある「霊泉」と呼ばれる湧き水です。かつて市内各地にはアイヌ語でメムと呼ばれる湧き水が至るところに湧いていましたが、地下鉄の建設など都市化の影響でそのほとんどが枯れてしまいました。しかし、白石神社の湧き水はいまだ枯れることなく湧き続けています。
白石神社が位置する月寒丘陵と呼ばれる台地は、支笏火砕流堆積物と呼ばれる火山灰層で覆われており、雨水を吸収し、速やかに地下に浸透するという特徴があります。白石神社は月寒丘陵の突端に位置しており、地下に染み込んだ水が台地の先端で湧き出す水に恵まれた場所であるといえます。この豊富な水に支えられ、札幌ラーメンの麺が作られているのです。
素材の味を引き出す豊平川の水から生まれたうまみたっぷりのスープと、適度にミネラルを含む地下水から生まれるコシのある麺。戦後の屋台で誕生した札幌ラーメンは、店主や業者たちの創意工夫と、自然の恵みが組み合わさることで、札幌を代表する全国区のグルメになったのです。